
今日は、6月30日。
2020年の半分が終わるところですね。
梅雨ならではのムシムシした気候に、あなたは慣れてきましたでしょうか?
私は、梅雨から夏にかけての時期が一番ニガテ(笑)。
涼しい格好をしていても、やっぱり汗をかく。
もうず〜っと涼しい場所にいたいです。
明日からは7月。
ちなみに7月は、私の夫の誕生月でして、今何をプレゼントしようか考え中です。
「見れない」ではなく、「見ない」を選択しているだけ。
想定の法則を簡単に説明すると、
現実世界を無視して、意識世界を真実とする。
です。
しかし、「現実世界をやっぱり無視できない」というのが本当のところではないでしょうか。
実はこれも、あなたが、
「意識世界を見ない」を選んでいる。
ただ、それだけなのです。
現実は、与えられたものじゃない。
意識世界を見ようとしても現実世界が自分に入り込んでくるのは、現実世界があなたの意識世界の中に入ってくるのではなく、あなたがただそれを好きこのんで取り入れているだけなんです。
現実は誰かに与えられたものではなく、自分が作って自分に与えているもの。
なので、現実世界に対する前提を180度変えてください。
今見えている現実世界を、「これは自分が作ったものだ」と。
それを前提に現実世界を眺めれば、自分が今まで何を選んできたかがわかるはずです。
私はどうしたいか。
目に見えている現実が、私の作ったものならば、
じゃあ、私はどうしたいんだろう。
これからもずっと、こんな現実を経験したいの?
と、シンプルに自分に聞いて考えてみてください。
人生というのは、非常にシンプル。
誰かに何かを選ばされているのではなく、あなたが選んでいるだけなんです。
自分の選択に、責任を持ちましょう。
こんにちは
いまの私は今までの習慣の反応(ネガティヴなもの)をしてしまって、心の中で自分を卑下しがちなのですが、そうなる度に「あー今までの反応しちゃってるな」と気づいて修正していく繰り返しです。
これも、繰り返していくと、意識世界だけみれるようになっていくものでしょうか?
いや、いくと信じて、シンプルに考えることですよね…!
おはようございます。
コメントありがとうございます。
遅くなってしまい、申し訳ありません。
まず、繰り返しする云々の前に、「こうなりたい」という固い決意ですね。
あとは、その願いに対する熱い想いです。
「こうなれたらいいな〜」ではなく「やっぱり私はこうしたい!」。
と言ってもギラギラとしたものではなく、意識上で叶っている自分を想像して密かに楽しむことですね。
それはもう、信じようと努力しているというより、知らぬ間に自分を信じていることになるので、苦しくないんです。
意識世界は、自分しかいないので、自由なんです。
もちろん、人に迷惑をかけることはお勧めしませんが(笑)。
Erikoさん、こんにちは。
以前もコメントさせていただいた、さきという者です。
お久しぶりです!
質問させてください。
願望実現を願うとやはり「叶い方」を考えてしまいます。
例えば連絡先を知らない相手との復縁はどうやって??とか、「現実世界」を生きてると誰でも考えてしまうと思います。
「意識世界」を生きると叶い方、途中経過をどのように捉えるのでしょうか?
よろしくお願いします。
おはようございます。
遅くなりまして申し訳ございません。
叶い方や途中経過について考えてしまうのは、やはり決めきれていないからではないでしょうか。
決めきれないという原因の一つに、恋愛であれば「相手のことを考えすぎている」ということも考えられます。
自分の外側を基準にしてしまっているということです。
恋愛やお金にかかわらず、全てのカテゴリーで願いを叶えたいならば、まずは「自分」。
自分の内側を蔑ろにして、自分の外側を変えることはできません。
もし、願いに対して叶い方や叶うまでの途中経過が気になる場合、「まだ自分は叶った世界の外側にいる」という気づきとして捉えた方がいいでしょう。
あと、復縁したいお相手がいらっしゃるのなら、いつでもそのお相手が来てもいいように、自分の身の周りを整える行動をしておくのもいいです。
行動をすることで意識も変わりやすくなります。
意識が変われば、あらぬところからお相手に関する情報がキャッチできるようになるでしょう。
ERIKOさん、はじめまして。
急に不安と迷いが出てきたので、聞いてください。
私には今好きな人がいて、『その人に世界一愛される私』や、『その人と相思相愛で幸せな私』に、『なる』ことを意図してきました。
意識(意図)が先、現象化は後。
現実は無視
これを徹底しつつ、自分なりに色々と勉強して、試行錯誤をしながら、2ヶ月前から『なる』を実践して、そこから色々とその方と接点を持つことができ、ついに先月2人でご飯に行くことが出来ました。
元々は脈なしだと思っていたし、素っ気なくされた時もあったので、この進展はとても嬉しかったし、そのご飯の時も、色んな『偶然』が重なって、ときめくようなことが起き、その時は本当に楽しく過ごせました。
そして、その時にうまい具合に次に会うきっかけになる話が出来き、今月またその人と2人でご飯に行けたのですが、今回は私が他のこと(仕事のこと)でかなり悩んでいて気持ちが落ち着かず、その人との大事な時間を思い切り楽しむことができませんででした。
前回は、『この人、私のこと気になってるに違いない。るんるん』といい意味で思い込めていたのですが、今回は、『やっぱりダメかも』と思うようなことが多くて、現実無視はわかっていても、うまく行きかけていたことが急にダメになった感じがしてショックでした。
そして、ほかの悩みも相まって、急に何もかも不安になってきたのです。
私、何かやり方を間違えたのでしょうか。
現象化に向けて動き出したようにみえた現実が、急に別の方向に行ってしまった気がします。
あと少しだった気がするのに。。
今の私は、どうすればいいのか、アドバイスをいただけると嬉しいです。
Nanaさんコメントありがとうございます。
願いが実現しつつある時に、自分が思う方向とは逆に向かっていく。
ダメになるような出来事が実際に起きたということで、受け取ってよろしいでしょうか?
もし、実際にダメになるような出来事が起きたのなら、Nanaさんの意識の中にあるものが現実化したのです。
どんなに納得いかなくても、それが真理です。
2度目のお食事の時に仕事のことで悩まれていたということですが、そういう場合、現実世界の対応の一つとしては、「デートやお食事などをお断りする」というのもアリだったのかなと思います。
仕事で悩んでいても、仕事の自分とプライベートの自分を切り替えられる状態ならば、大丈夫だったでしょう。
しかし、目の前のことを楽しむことができないくらい悩んでしまう時には、お相手と無理に会うことはないのです。
むしろ一回お断りすることで、男性はNanaさんを追いかけたくなりますしね。
「実は、体調が優れなくて・・・」などと上手にお断りして、いろいろ片付けたら、次の機会にめいっぱい楽しむようにすればよかったかもしれません。
とはいえ、過去は過去です。
今も不安で仕方がないということですが、今もこれからも不安な気持ちで心を満たしていると、必ず現実化します。
悩んだところで、悩みは解決しないのです。
むしろ、悩むような状況が淡々と続くか、増大していく可能性が高まります。
これは、恋愛や仕事、その他のことでも同じ真理が働きます。
だから、悩みや問題を解決しようせずに、
【一旦、離れる。もしくは、脇に置いておく。】
そして、
【自分の心を心地いい状態に持っていく。】
そうやってまず、Nanaさん自身が幸せな人になることに集中してみてください。
それに、「急に別の方向に行ってしまった気がする」という状況ならば、ダメになったと決めつけるには早いと思いますよ。
「気がする」ですから。
今の意識をまた、叶ったことにするのです。
でも不安感でいっぱいでそれどころじゃないなら、まずは悩みから離れる。
離れて、自分だけの好きなことをしましょう。
もし不安がどうしても離れない時は、飽きるまで不安になって構いません。
落ちるとこまで落ちてもいいのです。
要は、「幸せな人=どんな自分もOK」ということですから。
ERIKOさん、ご返信、ありがとうございます!
お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。
ダメだと決めつけるには早いと思いますよ、というERIKOさんの言葉に、ああ、潜在意識を信じていれば、そこには『安心しかない』のだった、と自然と思い出さことができ、
そこから、あんなに悩んで胃が痛くなって食まで細くなっていた原因の仕事の悩みが、ほぼ解決しました。
そしたら気持ちが落ち着き、好きな人のことも少し前向きに考えられるようになって、『これも過程なのかもしれないな』と思えるようになりました。
いただいたアドバイス通り、また今の意識を叶ったことにしたいと思います!
こちらで質問させてください。3年くらい前からシンプルに言うと
「今ある不足の現実をなんとかしたい」と、言う思いから色々なサイトを見て
知識だけは積みましたが、じゃあ何か現実は変わったかと言うと
去年あたりから停滞し、今年10月に入り悪化しました。
身内が病院通いが続き、自分も職を失いました。
これも内面の投影?なんでしょうか。
自分で選択してるなんて信じたくないもんです。
常に「結果だけ選択しとけばいい」と言いますがそのマインドは
現実を生きてる自分にはとてもできず苦しいままです。
今叶ってほしい事は家族が健康になる事、自分が職に就ける事です。
現実的対処は行っていて潜在意識も何もないだろうと言われそうですが
現状を打破する為に今何をしたらいいか聞きたかったです。
悩み相談ですいません。
コメントありがとうございます。
「知識だけは積みましたが」のところが気になりました。
知識を積んで、それを実行に移したでしょうか?
どんなことも、「知っているだけ」では宝の持ち腐れにしかなりません。
心の状態が本当に変わってくるまで、その知識を使いこなさなければ、現実は変わりません。
ご家族が病気になり、職も失われて本当にお苦しい状況かと思います。
しんさんが今すべきことは、現実に見合った対処をしつつ、しんさんが幸せになれる努力をなさってみてください。
しんさんがどんなに怒っていても悲しんでいても、それを忘れさせてくれるものはなんでしょうか?
そうやって、しんさん自身がご自分を喜ばせてあげなければいけないんです。
文面から、しんさんの苦しみが伝わってきたからこそ、そう言える気がします。
今目の前に見えるものは、しんさんが過去に発した思考の結果、つまり現実=過去なのです。
なので、現実へは今すべき対処をしながら、意識の中では幸せになるような行動をしてみてください。
呑気なことを言っているように思いますが、これはとても大事なことです。
どんなに今きつい現実があろうとも、「これは過去なのだ」という認識を忘れないことですね。
そして、その過去である現実は一旦横に置いておき、ご自分を心地いい領域に連れて行ってください。
すごいことじゃなくていいんです。
風景の綺麗なところに行く、好きな歌を口ずさむ。
そんなんでいいのです。
自分を気分よくさせる方法って、お金をかけてできるものもあれば、タダでできるものもあります。
どうか、しんさん自身で、しんさんの心を休ませてあげてください。
はじめまして。
想定の法則についてのブログを見ていてこちらのサイトに辿り着きました。
質問をさせて頂きたいのですが、他の記事で「意識世界では叶った人になって、現実世界ではイライラしてた」という一文を見つけたのました。
いまいち「意識世界で叶った人になりながら現実世界で生活する」というのが具体的にどんな感じなのか?が分かりません。。
仕事をしてる時、電車に乗っている時、テレビを見ている時などなど、も頭の中で叶っている自分をイメージし続けて生活するという意味でしょうか?
私は普段頭の中でふっと情景を思い浮かべるというのは意識的に行っています。
あとは何かしながらも「あ、意識世界では叶っていたんだ」と思うようにしたり。
でも‘’ふっと(瞬間的に)‘’なので一瞬で「幸せな感情」が沸いてくる&感情に浸るというのは出来ない時もあります。
ERIKOさんのおっしゃる「意識世界と現実世界の生き方?」を教えて頂けると嬉しいです。
すいません、もう1つ。
「現実が創造し終えた映像であること」や「その映像が変わることはない」は分かっているのですが、では叶っている世界を自分の体が体験する時(現象化)というのは、どんな表現(捉え方)になるのですか?
よろしくお願い致します。
コメントありがとうございます。
四六時中、叶った世界をイメージし続けることではありません。
想定の法則は、想像する長さじゃなくて、頻度です。
アマゾンでのお買い物を想像してみてください。
買い物かごに商品を入れて注文をクリックして、商品が届くまで、AYAさんなら何をしていますか?
到着するまで、その商品のことを四六時中考えていますか?
そうではないですよね?
商品が届くまでは、他のことをしていたり、嫌なことがあれば怒ったり落ち込んだりしますよね。
それと同じです。
私が叶えた願望もそれと同じ状況で叶いました。
「こうなる」と決めたのが、アマゾンでいえば注文した時。
イライラしていた時が、商品が届くのを待っている時です。
願いを叶える時って、何もいつも気分を良くしたり幸せな気分に浸ったりする必要はありません。
ムカついたらムカついでいいです。
ポジティブが善で、ネガティブが悪なのではありません。
要は、自分の気持ちに素直でいることです。
願いが叶う人は、「自分に素直な人」なんです。
叶っている世界を自分の体が体験する時。
それは、願いが叶っていない時と同じで、願いが叶った世界も過去の自分の意識が作った映像です。
ただし、願いが叶っている時は、自分が叶った人になっている状態であることが必須条件です。
私の場合、願いを叶えた時、それを願っていたことを忘れていました。
しばらく叶っていることに気がつかず、後から「あれ?これ願っていた状況と同じだ」と気づいたんです。
ERIKOさん
返信ありがとうございます。
「長さではなく頻度」ネヴィルさんの本にそう書かれていました。
ただ頻度であるならば、多ければ多いほど良いということですよね。
その「頻度」とは叶っている状態をイメージをする頻度ということなのでしょうか?
例えば道を歩いている時に叶った状態をふと思い浮かべたりする時、一瞬なので感情まで伴わない時があります。
感情が伴っていないなら、あまり意味はないのかな‥‥と思ってしまうんです。
つまり「頻度の1つ」に入らないのかな‥‥と。
ERIKOさんが仰る「意識世界では叶った人になる」とは日常でどういう状態なのかがよく分からなくて。
四六時中イメージするとかではないならばどういう状態なのか‥‥
淡々と「今見えてる現実は関係なく、もう叶っているんだ、意識世界(心の中)ではもう叶えた自分がいるんだ」と思っているのも、「意識世界では叶った人」になっているのでしょうか。
質問ばかりですみません(>_<)
お返事が遅くなり申し訳ございません。
私の場合、気が向いたときに「こうなる」と決めて、あとは忘れていました。
しかも、長い時間決めていた訳ではなく、本当に気が向いたときに「こうなる」と思っただけでした。
それを1ヶ月くらいやっていたところ、願いが叶ったんですね。
確かに感情は伴っていました。
その願いが叶っている意識の中の自分は楽しんでいましたね。
ちなみにAYAさんの叶えたいことは、どんなことなのでしょうか?
プライベートなことなので、ざっくりとで構いません。
ERIKOさん お返事ありがとうございました。
気が向いた時に意図されていたのですね。私が叶えたいことは好きな人との結婚です(今はフリーです)。
よく「もう叶った人になって生活する」と言われますが、私はずっとこれが出来ずにいました。目の前の景色(現実)に引っ張られてしまうからです。
目の前の景色を見ながらも、その景色の中で毎日生活しながらも、どうしたら‘’叶っている自分‘’でいられるのが分からなくて苦しみました。
私は最初に 頭で何でも考えてしまう理論的な性格で、上記の状態がどういうことか?が分からなかったんです。
そんな時ERIKOさんのブログを見つけて「意識世界では叶った自分になって現実世界で生活する」という言葉を見た時、頭の中に僅かな光が差した気がしました(笑)
「意識世界と現実世界を別けて考えればいいのか!」と思いました。
意識が自分の現実を創っているのだから、現実はそれはそれとして「(意識世界の私は)もう幸せな結婚をしている、叶っているんだ」と‘’意識する‘’ようにしたんです。
ERIKOさんのこの言葉を書かれた意図とは違うかもしれませんが、私はそう理解しました。
色々なブログや本を読んでも‘’現実が気になるのは現実と答え合わせをしているから‥‥‘’とか‘’それは叶っていない人です‘’とか書かれています。
願いへの思いが強ければ、時間の経過と伴に「自分はちゃんとできているのか?」という思いが出てくるのは人として普通の感情ではないのかな?と私は思うのですが。。
でも「ちゃんと意識世界では叶った人になってるの?」「そんなことしても何も変わらないよ」という邪魔する思考は、現実しか見えていないエゴなのですよね?
それでもそう思ってしまった時は、また意図し直す(想定し直す)ようにしています。
というか、そうするしかないんですよね。
ずっとワクワクとか、前向きな感情で居続けるのはかなり無理があるように思います。1~2ヶ月くらいならまだしも、半年~数年などの間、何の疑問も不安も抱かないなんて‥‥
「意識世界で叶った人になって現実世界で生活する」は、現実を見てエゴがあれこれ言ってきても「意識世界では叶ってるから」と立て直しができていればいいのかな?と疑問に思いました。
私の中に「一度でも現実を見て落ち込んだり、疑ったり、焦ったりしたら振り出しに戻ります!」みたいなルールがあるのかもしれません。
想定をしても、途中感情の上がり下がりがあってもいいものなのでしょうか?
遅くなりました。
AYAさんは好きな人との結婚が願望だということですが、まだお付き合いはされていないんですね。
その前に好きな人というのはいらっしゃるのですか?
私がおすすめするのは、願望の段階を下げてみてはどうでしょうか?ということです。
好きな人との結婚を願っていてもなかなか叶わないのは、AYAさんの意識の中に「まだそこまでは無理」という設定があるのでしょうね。
なぜなら、まだお付き合いもされていないからです。
お付き合いもしていないから、結婚がハードルの高いモノなのかもしれません。
まず意中のお相手がいるなら「あの人とお付き合いしたい」、まだいらっしゃらないなら「素敵な男性と出会いたい」という段階から始めてみましょう。
感情の上がり下がりも、自分の意識の中にあるのが未知すぎる願望だからなのでは?と感じました。
なので願望の段階を、今の自分に見合った段階まで下げてみることをお勧めします。
あと、AYAさんにとって目の前の現実世界は、幸せなものでしょうか?
ご自分の幸せに責任も持って過ごしておられますか?
やはり、結婚というのは素敵なこともありますが、現実的にいうと家事の大変さもあります。
子供が生まれたら尚更です。
やりたいことや好きなことの他に、やらなければならないことと面倒くさいことも責任を持ってやり遂げることが大切です。
フリーのうちに、「旦那さんに家のことは任せて」と胸張って言えるように、花嫁修行をしておくと実力がついてきますよ。
こんにちは。
本当にわかりやすく記事を書いてくださっていて、とても感謝しています。
わたしは海外在住なのですが、衛生パスポート無しにレストランやカフェ、ショッピングモール、美術館等に行けないという法案が国で通ってしまいました。わたしは反対しているので今日からそういう場所には行けません。この現実も自分が作り出しと受け止めようとしていますが、すごく精神的にキツいです。街を歩きながら目に入る光景をこれは自分が作り出したんだと無視することは、こんなにも大きな酷い現実を自分が作ったと受けとめることかに、やっぱり時々気持ちが折れそうになります。
何かもしアドバイスがあれば、よろしくお願いいたします。
こんにちは!
コメントありがとうございます。
衛生パスポートのことで調べましたら、フランスでそういう法案が通ったとのニュースを見ました。
しかし、お好きな場所に行けなくなってしまったというのは、お辛いですね。
しかし、私の視点でお話しさせていただくと、「美術館やレストラン、ショッピングモールなどに行く」という選択肢がなくなったことで、全てがなくなるわけでは無いと思うのです。
娯楽は、家の外だけではありません。
家で楽しむ娯楽もあります。
私はちなみに、コロナが始まってからは基本的にステイホームですが、とてもありがたいと感じています。
ひとりになって、自分の心の中にこもることができるからです。
日本では、パスポートや許可証がないと人の出入りに激しい場所には行けないなどの法案はありません。
それでも、ショッピングモール等には行きません。
行くとしたら、用事がある時のみです。
元々、一人で黙々と好きなことをするのが大好きな性格のためか、コロナでもそこそこに苦労せずに過ごしてきました。
そういう経験から、コロナは私たちに「自分と向き合いなさい」というメッセージをくれたのかなとも思っています。
自分の意識を、自分の内側に向けなさいと。
なぜなら、自分の内側は無限の世界だから。
コロナ前から、うつ病の人が増えていたり、HSPという気質の人が増えたりと、そういう現象を見ると人は自分自身への心がなく、外側にばかり心を向けていたんだなと私は思うんです。
だから、コロナが人類に出歩くことを止めさせた。
「家にいて、自分の内側にこもってみなさい。
今まで、どれだけ自分を無視していたかがわかるから」
というメッセージを私は感じています。
しかし、元々出歩くのがお好き人ならば、とても窮屈感を感じずにはいられませんよね。
でも法律上、パスポートなしでは美術館等に入れない。
ただ、その状態から、今のyouanさん自身にできることはありませんか?
何もないわけではないと思います。
ただ、今ある現実を受け止める必要もないと思います。
イヤなものはイヤなのですから。
アドバイスするならば、
辛い現実を受け止めようと、頑張らなくていい。
美術館などに行けないのは本当にイヤなら、イヤなままでいい。
でも、今できることはなんだろう。
外を出歩くほかに、自分を楽しませる方法はなんだろう。
ここにフォーカスしてみてください。